『ぐちゃぐちゃ』

宮沢 弘

第4回目 【シナリオ について】

RPGにはシナリオが必要だ。だが、私の周囲ではシナリオ作成に手間をかけ るGMは少ない。いや、それどころかシナリオを悪の権化であるかのように言う 人までいる。いわく、「シナリオはプレイヤーを束縛する」とか何とかだ。で はシナリオが無ければRPGはもっと楽しくなるのだろうか? いや、シナリオが なければ、RPGはつまらなくなる。

なぜか? 前回も触れたが、RPGに飽きたというある人が言っていた「同じこ との繰り返し」ということだ。人間、残念ながらそうそう独創的な発想は出な い。「プレイヤーを束縛したくない」というお題目はすばらしい。シナリオを 用意せず(ま、せいぜいメモ程度のもので)、その場その場の思い付きでセッショ ンを運営していくというわけだ。だが、それでセッション運営ができるのか? 質の良いセッションを提供できるのか? 即興的に出てくるものなど、いわゆる 典型例であるか、箸にもかからないようなものでしかない。

例えばダンジョン探索。昔のGMはたかがダンジョンの設計にも大くの労力を 注いでいた。ダンジョンの構造に秘められた謎、そこで起こる事件や事故、そ れこそがGMの腕の見せ所の1つだったのだ。セッションをいかに盛り挙げるか はダンジョン設計にかかっていたと言っても良い。

では、どうやって良いシナリオを作るか? 例えば、[馬場]では既存の物語か らの翻案(あるいは変換)を勧めている。これは私も大賛成だ。中には「世界が 違えばそんなことはできない」と主張する人もいるが、[馬場]に例が有るとお り、十分可能である。確かにどんな変換でも可能とはいかないが、それでもか なりの余裕が有ることは確かだ。あるいは[小林]にまとめてあるいくつかのパ ターンなども参考にはなるだろう。また、[神尾]や[佐々木]も参考になるだろ う。だが、これらはあくまで技術にすぎない。現在の問題は、技術ではないよ うな気がするのだ。技術とは、結局それを生かす素材が有ってこそ意味が有る ものなのだ。シナリオを軽視しているのであれば、その素材そのものが存在し ないのと同じことではないだろうか。

つまり、結局のところ2回目の話に戻るのかもしれない。「ゲームを楽しみ たい」のか、それとも「その場で騒ぎたいのか」というわけだ。ゲームを楽し みたいという欲求は、優れたシナリオを要求するだろう(「優れたシナリオ」 の定義は各自探すように)。これはシナリオの質の向上や、内容のバラエティー を求めることになるだろう。それに対して「その場で騒ぎたい」というのであ ればシナリオはどうでも良いわけだ。つまり、その場に集まり大声を挙げる理 由らしきものさえ有れば万事OKなわけである。

次回は、セッションについて書いてみようと思う。でも、話は以前として 「ゲームを楽しみたい」のか、それとも「その場で騒ぎたいのか」という内容 だったりする。そうそう、この記事に対するご意見などは、 skoba@cs.inf.shizuoka.ac.jp までお寄せいただきたい。返信するかどうかは 分からないが、参考にはさせていただく。

参考資料