また、モジュールというのは、階層構造を持っています。 例えば、システムは、ドライバ・モジュールとデータ・モジュールからなっており、 ドライバ・モジュールは、キャラクター・メイキング・モジュールと 行為判定・モジュールと.....から成っており、 行為判定・モジュールは、一般行為判定・モジュールと戦闘・モジュールから なっているなどのような感じです。 で、これ以上分解できないモジュールというものも有り、 例えば、キャラクター・メイキング・モジュールは、基本的には それ以上分解できないでしょう。 また一般行為判定・モジュールも、おそらくはそれ以上分解できないでしょう。 なぜなら、それ以上分解した場合には、それはキャラクター・メイキングの モジュールや一般判定のモジュールではなくなり、 単にダイスを振るとか表を引くなどの、 個々の手順の記述になってしまうからです。 ここでは、それらの個々の手順の記述をプロセジャーと呼び、 またモジュールの最少単位をプライマリ・モジュールと呼ぶことにします。
この辺はRPGを作るということにも説明が有ります。
なぜなら、RPGはルールに対してGMが様々な情報を付加して遊ぶもの だからである。付加する情報としては、例えばシナリオがそうだ。 サポートが有ろうが無かろうが、シナリオは作れるだろう。 仮にシナリオに特別なアイテムが必要になった場合、サポートがあろうが無かろうが 必要なアイテムを作り出すだろう。
ただし、サポートが無いということは、そのRPGにとっていくつかマイナス面が 有ることを意味していることも確かである。 例えば、既に絶版になっている、システムや世界に問題が有り(もしくは人気が無く) プレイヤー人口が少ないなどなどである。 前者、つまり絶版になっている場合、これからそのRPGを入手すること自体が 難しいかもしれない。 しかし、後者であれば、そこはそれHouse Rule や House Worldなどで 改善・補強などすることが可能である。 純粋に人気が無いという場合にしても、むしろ自分の周囲のプレイヤーに その世界の魅力を教える位の心づもりでやれば良いだろう。 つまり、RPGを遊ぶのに、サポートがしっかりしているかどうかは 本質的な問題ではないのだ。
では、サポートが有る場合、どのような利点が有るだろうか? サポートが有るということは、そのサポート自体が金になるということであり (商用RPGの話ね)、金になるということは需要が有るということであり、 この場合における需要とはすなわちプレイヤー人口が多いということを意味する だろう。 つまり、そのRPGで遊ぶためのメンバーを集め易いということにつながると思われる。 その他、そのRPGはおそらくはまだ絶版にはなっておらず、入手も易いであろうし、 新しい情報がデザイナーの側からつぎつぎと付け加えられているという ことであろう。あるいは、ルールブックにおける単純な誤殖などについてもきちんと エラッタが公開されるということになろう。
しかし、これらはどれ一つ取ってもRPGを遊ために本質的な条件ではない。 では、RPGを遊ぶための本質的な条件とは何か? 「その世界、そのシステムが魅力的かどうか?」ということだけが問題なのだ。
このあたりに関連することだが、「これからRPGをやりたいが、 最初に遊ぶシステムとして何が良いか?」 というような質問に対して「現在良く売れているRPG」を勧める人がいる。 しかし、そのような勧めかたはナンセンス! もちろん、そのような勧めかたをする場合にも理由は有る。 例えば、「売れているRPGはプレイヤー人口も多い」などなど。 プレイヤー人口が多くとも結局は、その人がそのRPGを遊びたいと思うかどうかが 問題なのだ。
サポートが無ければ、自分でサポートすれば良い。 そのRPGを遊んでいる仲間がいないのなら、これから作れば良い。 RPGは簡単に使い捨てるものではない(使い捨てたって構わないけどね)。 世界を広げて行く遊びである。 1つのRPGは一生つきあえるゲームであり、遊びである。
現在日本では、文庫本によるRPGの出版が半ば常識化し、 また次から次へとサポートも無い(もしくは、ほとんど無い)RPGが生み出されている。 サポートの無いこと自体は何の問題でもない。 この事に問題が有るとすれば、粗製乱造になりはしないかということである。
RPGに対する需要も、多岐に渡る。それは確かに事実である。 だが、本当に特定のアニメや小説に特化したRPGが必要なのか? なぜD&Dは20年近くも生き残り(最近死んだか...)、 なぜTravellerは名作と言われるのか、 RQ, CocなどBasic RPG Systemは なぜ今も良く遊ばれているのか? それは、それらが多くの世界に対応できたからではないか? 多くの世界に対応するのに充分な柔軟性と、例えばデータなどを持っていた からではないか? それはつまり、人々の想像力をかき立てる何かを持っていたからではないか? 最近の、特化したRPGにそれが有るだろうか?
確かに特化したRPGの方がさばけるかもしれない(そうかなぁ...?)。 また特化したRPGによって、新たにプレイヤー人口を増やせるかもしれない。 だが、もし仮に、特化したRPGに(特化自体が悪いわけではないんだけどね)、 D&Dのような、Travellerのような、Basic RPG Systemのような魅力が無ければ、 彼らは結局すぐさまRPGから離れてしまうだろう。 そして出版社やデザイナーは一時しのぎのためにまた次々と特化RPGを作り、 売らなければならないことになるだろう。
これを逆に考えると、様々な実験を行なう機会が多くなるということだと とらえることもできないではない。 もしかしたら、そこから素晴しいRPGが生まれてくるかもしれない。
いずれにせよ、私にはDream Parkと、Vampireと、そして私のオリジナルRPGが有る から、周りのことはあんまり気になんないんだけどね。
RPを支援するルールを持つRPGがいくつか有る。 例えばTORGや、天羅万象である。 これらはいずれも一種の推奨行動が規定されており、それにそった行動を 取った場合、PCが一種のヒーロー・ポイントを得るという形になっている。 だが、このようなルールは本当にRPを支援しているのだろうか? 私がTORGや天羅万象を遊んでみた感じとしては、どうも違う...というか 問題が有るように思える。
さて、では私がTORGや天羅万象のルールのどこに問題が有ると感じているのかと 言えば、プレイヤーはヒーローポイントを得るために、近視眼的な行動を 取るように感じているのだ。 近視眼的行動と言っても、あくまでヒーローポイントを得るための行動についてで あるが。 どう言ったらうまく表現できるのかは分からないのだが、 RPした結果としてヒーローポイントを得るのではなく、 ヒーローポイントを得るために行動をするというように感じるのだ。 いや、これでは私が感じている異和感を表現できていないなぁ。 そのPCらしさにおいて、そのPCの考え方や感じ方や行動のスタイルと いうようなものが無いままに、ヒーローポイントを得るために行動するように 感じているという方が良いかもしれない。 また、あまりにもPCに典型的な行動が多くなりすぎてしまうような気がする。 それをRPと言っていいのだろうか?
確かに、TORGや天羅万象では、PCの行動や感じたことなんかを プレイヤーが積極的に描写する。 だが、その行動や感情は非常に直接的であり、奥行きというものを感じさせない。 なるほど、「コマンド選択」的な描写ではなくなるかもしれない。 いや、見た目がちょっと変化しただけの「コマンド選択」的な行動になると 言った方が良いかもしれない。つまり、システムからコマンドが提供されている というよりも、推奨行動によってコマンドが提供されるという感じだ。 上にも書いたように、それぞれのPCにとって典型的な行動があまりにもはっきり 見えてきてしまうのだ。
で、仮にここで「そのようなルールを、RPのためにうまく使えるか どうかはプレイヤーの腕しだい」というようなことを言うと、 それはそのルールの存在意義を否定してしまうことになりはしないか?
どうも、これまであまり意識していなかったが、 私はRPにおいて、PCの行動や思考、感情の様式を重要視しているようである。
また、別の解釈というか感想もある。 それは、PCの考えがあまりにもあからさまになるということだ。 これは天羅万象の場合に強く現われる。 何というか、私は「秘するが花(秘すれば花だっけ?)」という感覚が有る。 つまり、あまりにあからさまになってしまうと、それは下品でしかないと感じるのだ。 話が跳ぶが、私がエヴァンゲリオンを好きになれないのもこの理由からだ。 あまりに内省的すぎ、あまりにあからさますぎるのだ。
さらにこれらの問題がどこに起因するかについても1つ思いあたることが有る。 それは、これらのルールが提供するヒーローポイントがあまりにも 強力すぎるということだ。 あるいは、システムの前提が、そもそもそれらのルールでかせいだヒーロー・ ポイントの大量消費が前提となっていることと言えるかもしれない (もちろんシナリオ・バランスしだいの問題とも言えるのだが)。 で、そのために、プレイヤーはとにかく多くのヒーローポイントを獲得しなければ ならず、そのためにはどんどん推奨行動を行なわなければならなくなる。 すると、だいたいにおいてその行動は推奨行動から直接的に考えられる 行動となるために、どうにもPCの奥行きというものを感じさせるにはいたらなくなる。 また、特に天羅万象の場合ということになると思うのだが、 ヒーロー・ポイントを得るためにはとりあえずGMにどのような推奨行動を 取ったのかを説明することになる。 (で、特に感情の因縁の場合ということになるのだが、)これによって、 PCの考えや感情などがあまりにもあからさまになり、 しかもそれが何回も何回も繰り返されることになる。
PCの感情などをプレイヤーに表現させるという点において、 天羅万象はおそらく成功していると言えるだろう。 これまでPCの行動様式や感情などに気をはらわずにRPGをプレイしてきた 人にとっては、天羅万象は画期的なRPGということになるだろうし、 また新しい楽しさの発見につながるのかもしれない。 しかし、すでにPCのスタイルなどをイメージして遊んでた者にとっては、 面倒な手続きが増えただけにすぎない。 おまけに、RPGにはおそらく鑑賞という面もあり、 あるプレイヤーがそのPCの行動を宣言しているような場面では、 他のプレイヤーはそのPCの行動を鑑賞していると考えられる。 そのような場面において、PCの内面を表明しすぎるのは、 さらにはヒーロー・ポイントを得るための判定云々などは むしろ鑑賞の邪魔にしかならないのだ。
というわけで、TORGも天羅万象もRP支援という面からみると、 失敗はしていないが、不十分もしくは方向に若干問題有りという感をいなめない。 RPを支援するルールというのはどういうものが良いのだろうか?
まず、第一に、オリジナルRPGの存在自体があまり知られていないという ことが有る。いや、もちろん知っている人は知っているのだが、 どのようなオリジナルRPGが有るのかについての情報の入手が容易ではない。
システムのアンバランスとは言っても、通常言われるアンバランスではない。 つまり、戦闘は非常に詳細なのに、その他は単純であるというようなやつ ではない....いや、その話か...
この部分を読むに当たっては、是非とも Scoops RPG における 馬場さんのコラム 「パワープレイ -あるいはシークレットドアを探して-」を お読みいただきたい。
このコラムにおいて、馬場さんは、もちろん冗談として書いているのだと思う。 しかし、RPGの歴史を考えてみると、戦闘とその他とのアンバランスにも 理由が有るように思える。
つまり、結局のところ、RPGとは元々は個人戦闘シミュレーションゲーム だったわけだ。それまでのウォー・シミュレーションとの違いは、 それらが群を1ユニットと考えていたのに対して、 RPGは個を1ユニットと考えたのにすぎない。
元々が個人戦闘シミュレーションゲームだったわけだから、 戦闘についてはある程度詳細なルールが必要になる。 しかし、個をユニットと考えているわけだし、ダンジョン内とは 言っても戦闘以外のことも発生しうる。 だから、戦闘以外のルールや数値も必要になる。 とは言え、それらは主眼ではなかったのだから、大雑把な処理方法でも 問題では無いわけだ。
ところが、プレイヤー達は必ずしもそうは考えなかった。 つまり、個人戦闘シミュレーションゲーム以外の側面をRPGに見出したわけだ。 個をユニットと考えているのだから、その生活にも目が向くし、 そうなれば町中での冒険なんかも視野に入ってくる。 そして戦闘以外の状況もますます多くなってくる。
この時点において、RPGにおけるルールのアンバランスを矯正できれば よかったのだろう。 しかし、矯正されないまま、現在にいたっている。 つまり、戦闘には詳細な処理が有るにもかかわらず、その他は ダイス一発というわけだ。
さて、そうなると、ルール上では戦闘以外は面白くない。 すると、どうなるのか? 現在、我々はその結果として2つの現象を 観察できる。 1つは、ストーリー重視の方向であり、 もう1つはキャラクター・プレイの方向だ。 つまり、ルールでは面白くないから、シナリオやプレイヤーの行動として その部分を楽しもうということだと言えるだろう。
では、仮に、矯正がなされていたとしたらどうなっただろうか? 現在の一種の「演じる」的な楽しさは残っていただろうか? もちろん、消えていたとは言えない。 説得を行なうにせよ、どのように、あるいはどのようなネタで行なうか というあたりで「演じる」的な要素は残ったかもしれない。
しかし、そちらの方向に進んでいたとすれば、 どのように、あるいはどのようなネタで行なうかも ルール化されていたかもしれない。 そうすると、やはり、RPGというよりはシミュレーション・ゲ-ム 的要素が 色濃くなっていたと考えられる。
馬場さんの言われるように、戦闘と他の部分とのアンバランスは 無理があるかもしれない。 しかし、現在のRPGを導いたのは、結局のところそのアンバランスであったと 言えるだろう。
これから、もしかしたらその失なわれた方向に足を踏みだすRPGが 出てくるかもしれない。 考え方によってはコンピューターRPGがその方向に行っているのかも しれないが。
もしかしたら、我々がRPGだと思っているものは、 単にRPGの黎明期に生まれた徒花にすぎないのかもしれない。
まだまだ、RPGの未来は分からない。