Publisher: ASCII, ASPECT(だったと思うけど...)
評価: C
第一印象は、PCの強力化もここに極まれり、というものですな。 PCと同程度の能力を持つNPCがシナリオに登場すると想定すれば (これ自体は ごく普通の仮定だと思いますが)、 どうやっても相手がたの行動を阻止できない ことになる。 これは同様に相手にとってもPCの行動を阻止できないことになるわけだけど。 というわけで、普通に考えると、PCはまったく動けないか、 あるいは何も考えずに動くかしかなくなってしまう。
シナリオをなりたたせるには、NPCにはPCがシナリオのタスクを達成させるのを 困難というか不可能にしうる能力者は存在しない という仮定を立てなければならないし、またGMはそのようにシナリオを作らなければ ならないことになると思うが、それって変。 それとも、敵対するNPCは、PCよりも弱いのが当たり前というコンセンサスが いつのまにか世の中にはできてしまっているのでしょうか?
まぁ、これはいわゆるスーパーヒーロー物なんかも同じはずなんだけど (コンセンサス云々の前の部分についてだぞ!)、 実際にはスーパーヒーロー物の場合、相手がどんな手というか方法というかで くるかはかなり制限されている。 つまりスーパーヒーローに敵対する者もまたモロにスーパーヒーロー的な能力を 持っている場合ってのはかなり例外的なもので、 だいたいにおいて知力で攻めてくるとかというふうになっているわけだ。 これは、そのジャンル自体が持っている歴史的なお約束だろう。 で、そのために、相手に対して何もできないもしくは考えるのが 無駄ということはなくなる。 またスーパーヒーロー自身の能力も、そう無茶苦茶なものは無かったりするし。 このあたりのことで、Toyko Nova のパーティーはスーパーヒーローもののRPG のパーティーと同等もしくは強い可能性が高い。 結局 Tokyo Nova は世界設定を誤ったのだ。 もしくは世界設定についての解説を誤ったのだ。 あるいは、ボケをかましている可能性も有るが。
あと、ペルソナだの、キーだの(これは多分、自我に対応させてると思うけど)、 シャドーだのという深層心理学(特にユングか)の言葉を入れているが、 これがどうもうまく合っていない。 トーキョーNOVAでは、ペルソナだのなんだのにはいわば職業、もしくは職能的な 内容が割り当てられることになるけど、それは深層心理での考えかたとは まったく別のものになっている。 ルールブック上で、「心理学云々」と言っていなければ、こんなことは言わないが、 ルールブックでそう言っている以上、これはつっこまざるをえない。
そもそもペルソナというのは、自我と外界との一種のインターフェースである。 もちろん、そこには行動様式というものは含まれるが、それは職業やら職能ではない。 職業倫理上の行動様式というものは含まれうるけどね。
また自我というのは、いわば自分という意識であり、価値基準、行動基準の 基本は自我によると考えられる。 シャドーは、自我がみとめたくない自分の一部もしくはいまだ自我に統合させうる ほどに発達していない精神的部分と考えられ、これも一種の価値基準、行動基準と 言える。
このように、価値基準、行動基準、もしくは行動様式をさす言葉に、 職業もしくは職能的な内容を当てるのははっきり言って混乱の元である。 いやそれ以前に、ペルソナだのシャドーだの心理学だのを言う必要が無いと思う。 そのへんの言葉を使ったことによって、「何を言ってんの、この人?」的な 感想を持たざるをえなくなってしまっている。
そうそう、それからルールブックに、「最近心理学の発達によって云々」という 部分が有ったけど、この「最近」というのが、いつのことを言っているのかまったく 分からない。現実世界においてはおそらくはフロイト、ユングが創り挙げたものは、 それ以後そう大きく変化していないと思われる。とするならば、 それは最近とは言いがたい。まぁルーシーや、ミトコンドリアのイブから 今迄を1つのスパンとして捉えるなら、フロイトやユングがぎゃーぎゃー言ってた 時期もつい最近ってことになるけどね。 あるいは、心理が最近になって計測可能な対象になったという意味であるとも 解釈可能だが、そういう話は寡聞にして聞いたことがない。 連想実験はユングがやってたから、これまた最近ではないしね。 トーキョーNOVAの世界において、「最近」というならば、 まぁそれはそれでかまわないけど。
あと、ルールブックのどこだったか忘れたけど、確かスートと技能の関係だったか、 その内の感情との関係だったか、まぁそのあたりだけど、 妙に、昔の青春ドラマ的な友情というイメージが乱舞していた部分が有った。 はっきり言ってヘドがでる。 トーキョーNOVA的な世界と、そういうやすっぽい友情ってのは全く排反するものだと 思うのだが。
とは言え、新しい判定方法や、タロット(風?)の味付けという要素を 取りこんだ試みは面白いので、総合的には評価は C にしとく。