『ぐちゃぐちゃ』

宮沢 弘

第2回目

前回は、[小林]に挙げたRPGの楽しさが[カイヨワ]の分類のど こから来るのかを考えてみた。今回は、1種のプレイ・スタイルに ついて考えてみたい。ま、ノリ重視派とそうでないものの比較だ。

[山北]では、これを「アゴーン - アレア」と「ミミクリー - イリンクス」の違いであると解釈している。もちろん、それは否定 できないが、もう1つ忘れてはいけないことが[カイヨワ]に述べられ ている。それは遊びに対する態度のようなものだ。それは「パイデ ィア: 気晴らし、熱狂、即興」と「ルドゥス: 制限、努力、技量を 必要とし楽しむもの」と呼ばれている。つまり、何をいいたいかと いうと、RPGにおいて「気晴らし」を望むのか、それとも「困難の克 服」を望のかという、セッションに対する態度も重要であると思う のだ。そして、もちろん、多くのノリ重視派は「気晴らし」を望ん でいるにすぎないように、私には思えるのだ。

言うまでもなく、「アゴーン」と「ミミクリー 」は「ルドゥス」 的要素を強く含みうる。「アレア」もまた、運の結果という覆され ざる制限において「ルドゥス」的要素を持っている。だが、問題は 「イリンクス」だ。前回、RPGは「アゴーン」、「アレア」、「ミミ クリー」、「イリンクス」のすべての要素に楽しみの起源が有ると 述べた。そうしてみると、RPGとは基本的には「ルドゥス」的要素を 強く含んでいる遊びであるとは考えられないだろうか。しかし同時 に、「アゴーン」や「ミミクリー」や「イリンクス」は容易に「パ イディア」的なものにもなりうる。RPGにおいて「アゴーン」が「パ イディア」的なものとなれば、そこにはおそらく単に自分が他人よ りも優位に立とうとして大声でしゃべりあうことしか残るまい。「ミ ミクリー」が「パイディア」的なものとなれば、PCはゲームにおけ る制限ではなく、単なるごっこ遊びの対象でしかなくなるだろう。

確かに、「アゴーン - アレア」的側面に対して、「ミミクリー - イリンクス」は「パイディア」的要素への移行が起こりやすいだろう。 しかし、「ミミクリー - イリンクス」が本質的に「パイディア」的 な遊びにしかならないということでは有るまい。結局のところは、 どちらに重きを置くかということなのだと思う。

つまり、ノリ重視派と否定派には「ミミクリー - イリンクス」 と「アゴーン - アレア」という違いが存在することは否定しないが、 より根本的には「パイディア」を望んでいるのか、「ルドゥス」を 望んでいるのかの違いが大きいように思うのだ。更に言うなら、ノ リ重視派と否定派に加えて、キャラクター・プレイ派とロール・プ レイ派というもう1つの軸を加えて考察するべきだろう。

ともかく、私はRPGは「ルドゥス」的要素が非常に強い遊びだと 思っている。そして、[カイヨワ]が述べるように、それが現在にお ける流行の衰退の理由の1つではないかとも思ってしまうのだ。

次回は、特定RPGへの固執について書こうと思う。

参考資料