シナリオの文学性

これはちょっとRPGは芸術かあたりとも 関連しますが、ここではシナリオのみについて考えてみます。

まず、RPGということに限らなければ、つまりは戯曲の場合(古典的戯曲と言った 方が良いのかな...?)、 もはや文学として読まれていると言って良いでしょう。 私の頭にすぐさま浮かぶのは、RUR(カレル・チャペック著、 岩波文庫だと思った。 本のタイトルはもしかしたら違うかもしれないけど...)です。

戯曲の場合、まぁほとんど演劇の台本と言って良いと思います(えと戯曲というのは 早い話演劇なわけですが、その台本の形をかりた文学作品というものも中には有ると いうか、戯曲ってのはそういうものなの?)。 というわけで、演劇の台本も文学の一種とみなすことはできるでしょうし、 実際そう考えている人もいるらしいです。 ある意味で、小説よりも肉が落とされた形式で書かれているわけですし、 逆にセリフにすべて(というかほとんどかな)込められるわけで、 読み易いというのもあるかもしれません。

としたら、RPGのシナリオはどうかというと、 少なくとも演劇にしろ戯曲にしろですね、セリフというのが 大きな役割を担っていて、おそらくはそのために文学作品と見なされる のではないかと思うわけです。 ところが、RPGにおけるシナリオの場合、少なくともセリフについては 片手落ちの状態、つまりNPC側のセリフしか用意されていない。これが1点目。 さらに言えば、RPGは演劇と違って2種類の参加者間における相互作用によって 進展するために、必ずしも筋を一本追っておけば良いというものではなかった りする(そういうシナリオの書き方が一般的だとは思うが、NPCの発話内容などの 細かいところでは選択肢にしている場合が有るでしょう)。 読み物として考えた場合、分岐すると読むのが疲れるため、それは読み物としては 認めてもらえないだろう。 そして、これが2点

小説の場合、周辺状況も心理も書き込むことができる。 なぜなら、読者は読むからだ。 演劇の場合、その舞台などはとりあえず示せるが状況や心理を提示するのは かなり難しくなる。なぜなら、観客は見て聞くことしかできないからだ。 あまりに説明的な提示は、観る、聞く人にとって苦痛でしかない。 RPGの場合はどうだろう。 はっきり言えば、小説のような書き込みもできないし(プレイヤーに提示できない。 演劇的要素において、プレイヤーはダラダラとした説明など聞きたがらない)、 演劇のような見せたり聞かせることもできない(そこまで準備できないし、 表現もできない)。 仮にシナリオに書いてあったとしても実用上は使えないということになる。 おまけにその書き方は文学的とは言えなかったりする。 つまり、あまりにも制約が大きすぎるのだ。 そしてこれが3点目。

こう考えてくると、少なくとも表現上において、RPGのシナリオを 文学たらしめることはかなり難しいと思われる。 まぁとくに1点目や2点目の方がおおきいと思うが。 仮に、RPGのシナリオに文学的なところを求めるとしたら、 おそらく細部ではなく、テーマであるとかモチーフであるというような、 かなり抽象的と言って良いかどうかわからないが、 そういう部分になるのではないだろうか? しかるに、現時点においてそれだけの価値のあるシナリオは有るか? 確かに有ることは有るだろうが、どれだけ有るだろうか? 誰か知ってたら教えて下さい。

それにしても、ちょっとまだまとまってないから文章がバラバラですね。 またいずれ書き直します。