#. RPGと亜神話 ---- まとめ ----

アメリカのファンタジー / SF作家であるル・グインは、 参考文献 [夜の言葉] の中で次のように言っています。
『神話は、そのイメージ、人物像、モチーフなどで心に宗教的な共鳴をもたらす。 しかし、そのような共鳴をもたらさず、知的、審美的な価値も持たないけれど も、生きた活気にあふれ、力づよく、単なる類形として片づけてしまえないも のを、私は"亜神話"と呼ぶ』
(まとめて書くために若干表現を変えてあります)

ここでル・グインは『宗教的な共鳴をもたらす』という表現を用いていますが、 はっきりいって、私にはこの意味するところを捉えきれていません。 しかし、おそらく「何か魂に (心に) 訴えかけるものがある」という意味ではないかと 思っています。

また、この亜神話について具体的に、次のような例を挙げています。

『スーパーマン。奇妙な武器を携えた、剣と妖術の世界の金髪の英雄。 狂った、あるいは自己神格化に至ったコンピュータ。 少し狂った科学者。寛大な独裁者。犯人をつきとめる名探偵。 小宇宙を売り買いする資本家。勇敢な宇宙船船長かつ (あるいは) 輸送隊長。 悪い異星人。善い異星人。 おっぱいが大きくて脳みそがからっぽで、 先に挙げたようなヒーローたちによって怪物から救い出されたり、 お説教されたり、保護されたり、最近では強姦されたりする若い女。』
(読み易くするために若干表記を変えてあります)

何かピピッと来ませんか? この"亜神話"というのは、RPGそのものではありませんか。 いえ、もっと広く言えるでしょう。 いわゆる娯楽映画とか、娯楽小説などと呼ばれる様々な娯楽作品の多くは "亜神話"であるということではないでしょうか?

しかし、ここで勘違いして欲しくないことが1つ有ります。 それは、

『真に神話的な娯楽作品も有る』
ということです。

ル・グインは参考文献 [夜の言葉] の中で、 『真に神話的な娯楽作品』を書く作家の 例としてアーサー・C.・クラークを挙げています。 つまり、娯楽作品の中には亜神話的なものも、神話的なものも有るわけです。

現在のRPGのシナリオは、良いとこせいぜい亜神話です。 この言いかたが気になるでしょうか? つまり、RPGのシナリオの多くは、ル・ グインの言う亜神話の段階にも 辿り着いていないのではないかと思うのです。 亜神話は、確かに「芸術」と呼べるようなものではないかもしれません。 しかし、亜神話にはどこかしら活気が感じられます。 ここでRPGのシナリオを考えてみましょう。 何かしらの活気を持っている シナリオというの はどの程度有るでしょうか? 確かに、セッションには非常に活気が有るように感じられます。 そして、セッションの活気とシナリオの活気は完全には無関係ではないとも思います。 またGMの技術とも無関係ではないでしょう。

しかし、セッションにおける活気のほとんどは生身の人間の 活気ではないでしょうか。 それは例えば【GSP】のように。 だとするなら、セッションの活気とシナリオの活気とは同義ではないとも 言えるのではないでしょうか?

シナリオにも様々なものが有って良いと思います。 神話でも亜神話でもなく、参加者同士の笑いという楽しさを追いかけるシナリオ、 亜神話としての活気を持つシナリオ、 そして参加者に何か訴えるものを持つ真に神話的なシナリオも有っても良いと 思うのです。 そして、亜神話や神話としてのシナリオを求める方法として私が選んだのが、 シナリオを物語としてとらえるという方法なのです。 あるいは逆かもしれません。 シナリオを物語としてとらえるようになったために、その目的として亜神話や神話を 考えるようになったと言うほうが近いかもしれません。

そして、また、【私家版 Advanced!!】では (もちろん、この文章でもですが)、ユングの元型の話にいくらか 触れています。 それもまた、神話的、亜神話的な物語について考えるうちに、 そこにもヒントが有るように思えてきたためなのです (ユング心理学については 参考文献 [ユング心理学入門] が 良い入門書だと思います)。

というわけで、物語の作成について私が今のところ書けるのはこの程度です。 皆さんのご意見、ご感想をお待ちしております。


私家版 Advanced!!】 【物語の作りかたを考える