シナリオの使い捨てについて考える

この話については、すでに【シナリオって何?】の [なぜRPGでは一般ユーザーがシナリオを作るのか? もしくは作れるのか?]でも触れている。 目を通してほしい。

さて、そっちでの1つの結論としてシナリオを「神話的なもの」にすれば良 いのではないかと書いている。しかし考えてみると、神話的ではなく亜神話でも問題は無いはずだ。なぜなら、 スーパーマンは何度もTVで放映されている。様々なマンガも、何回も読まれて いることだろう。

さてと、するとちょっと疑問が現われる。すくなくとも亜神話の条件を見 るかぎり、RPGは非常に亜神話的要素を持っている。だが、亜神話は複数回の 鑑賞に耐え、RPGのシナリオはそうではない。どこにその差があるのか?

言いかえると、RPGは亜神話的要素を持っていながら、多くのGMやプレイヤー 達はその要素をうまく生かしていないのか? それとも安易なトリック頼りす ぎているのか? あるいは体験による印象が強すぎるのか? シナリオに含まれ る情報が少ないからなのか? 奥行きが無いのか? 単純にGMの技量が、プレイ ヤーに複数回体験したいと思わせるほどに高くないのか? さらにいえば、GM にそれほどの技量を出すことが可能になるほどにはプレイヤーの技量が高くな いのか? 原因の可能性は多数存在する。それぞれを簡単に考えてみることに する。

トリックに頼りすぎていないか?

これまでの経験から、そういう 面もあることは確かだ。しかし、考えてみると漫画にもトリックは多数存在す る。

私は、トリックが問題の1つだと思っていた。いや、今でも問題の1つだと 思っている。しかし、現在行なわれているシナリオには、トリックの無いもの も多い(私が経験した限りにおいてだが)。そして、それらのシナリオをもう一 度遊びたいとは思わない。

だとしたら、トリックの存在は本質ではないのかもしれない。

体験による印象が強すぎるのか?

擬似的にではあっても体験する ことによって、強く印象と記憶に残り、そのためにもう一度遊びたいとは思わ ないということは充分に有りうる。なにしろ非日常を、ゲーム内においてもゲー ム外においても体験しているのだ。日常の記憶よりも多少は鮮明に残っても不 思議ではない。

だが、面白い小説や漫画や映画に没入しているときはどうだろう。非常に 集中しているはずだ。その状態では、小説や漫画などは記憶に強く残るだろう。 にもかかわらず、しばらくするともう一度見たくなる。没入も一種の体験を生 みだすと考えれば、やはりここでも体験している。にもかかわらずまた体験し たくなる。

RPGと小説などでは体験の強烈さに違いは有るかもしれない。しかし、仮に、 体験していることに変わりが無いとすれば、体験していることは、同じシナリ オを複数回遊びたいと思わない理由の本質ではないのかもしれない。

シナリオに含まれる情報が少ないのか?

これも充分に有りうる。もちろん、キャンペーンとしては膨大な情報が用 意されるだろう。しかし、1回のセッションということで考えてみると、プレ イヤーが理解できる情報の量には限りがある。

仮にシナリオにあまりにも多くの情報を含めてしまえば、プレイヤーには 何がなんだか理解できず、結局そのシナリオは面白くないと感じてしまうだけ だ。

つまり、シナリオに含まれる情報が少なすぎることは問題だが、多くしす ぎることも問題である。そして、我々の格言である「プレイヤーは馬鹿だと思 え」に従うなら、GMから見て少ないと感じる程度の情報しか、シナリオには盛 り込めなくなる(物語の複雑さの問題の 最後のあたり)。

しかし、考えてみると、漫画でも始めのうちに謎を大量にバラ撒き、あと から次第にその謎を明かしていくという手法がある。謎を大量にバラ撒くこと によって視聴者の興味を魅くわけだ。しかも、その謎は世界そのものに関する 謎だったりする。もちろん、これはキャンペーンでなければ使えない方法だが、 少なくともキャンペーンの初期においてはプレイヤーが理解できない情報が大 量に存在することになる。その存在そのものは示されるものの、解き明かされ ない謎だ。

そのような謎を情報と言って良いのかどうかは若干の疑問が有るが、情報 と呼んでいけない理由も思いあたらない。また、プレイヤーに理解できないこ とが大量に示されることに変わりはない。

とすると、大量の情報の提供ということは、必ずしも問題とはならないこ とになる。情報が少なすぎることが問題であることは、まぁ間違いないだろう。 これは、もしかしたら、本質に近づいているかもしれない。

もちろん1回のシナリオの中でも始めのうちに謎が提供される。だが、それ は少数の、おそらくは1個の謎だけだろう。それもミッションの目的に直結す るようなものだ。漫画などでやるような、世界についての謎などではない。

ではこのような大量の情報の提供と、情報が少なすぎる場合との違いは何 だろうか? それは「世界の奥行き」と表現することはできないだろうか?

これまでは、1回のシナリオを複数回遊ぶということを考えていたのだが、 もしかしたら、この考えを改めなければならないのかもしれない。つまり、1 つのキャンペーンを複数回遊ぶことは有るのかという疑問に変えなければなら ないのではないかということだ。ただまぁ、キャンペーンということになると どうしても時間がかかる。そういうこともあって、これまで同一のキャンペー ンを複数回遊ぶということは考えてなかったわけだが。

まぁ、そう変ったところで、問題ではないと思う。あるキャンペーンを複 数回遊んだという話も私は聞いたことが無いからだ。

奥行きが無いのか?

前節において「世界の奥行き」という言葉が出てきた。とは言え、「世界 の奥行き」とは何だろうか?

どうも、無茶苦茶な難問にぶつかったような気がする。

世界に関する情報が豊富に提供されるかどうかも1つの要素だろう。 NPCの行動や発言の内容、そしてその表現も1つの要素だろう。 また、シナリオにおいて、プレイヤーにとってあまりに用意に把握できてしまう 程度の情報しか提供されないというのもおそらくは奥行きのなさの 1つの要因と考えられるだろう。

まぁ、とりあえず「奥行き」というのも大きな要因であると考えておこう。

GMの技量

どんなにすばらしいシナリオであったとしても、 それを表現するのがへたであれば、 そのセッションは面白いものとはならないだろう。

ある意味で、「あのGMのセッションで、もう一度遊びたい」という感想は、 「あのシナリオをもう一度遊びたい」という気持に通じるものがあると思う。 というのも、仮に「あのシナリオをもう一度遊びたい」と感じることが有るとしても、 それは単にそのシナリオを遊びたいだけではなく、GMの語り口やらなんやらを 含めての話だと思うからだ。 言い換えるなら、プレイヤーが「あのシナリオをもう一度遊びたい」と感じることが 有るにしても、それは単に「文章化されたシナリオを」ということではなく、 体験として具体化したセッションをもう一度という気持が有るだろうからだ。 その中には、「あのGMのセッションで」ということも含まれているだろうからだ。

というわけで、GMの技量も大きな要因の1つであることは確かだと思う。 ただまぁ、それはマスタリングの話であって、シナリオの側面ではない。 もちろん、それらを単純に分離することはできないのは分かってますけどね。 だから、この話はちょっと置いときましょう。

プレイヤーの技量

さてと、GMが、持てる技量を発揮するためにはプレイヤーの協力が必要です。 いや、もちろん、プレイヤーがGMの話を聞いているだけというセッションであれば、 プレイヤーの技量ってのは関係ないでしょうけどね。 プレイヤーの技量についてはプレイヤーの技量に 目を通してください。

というわけで、上で触れたGMの技量を発揮するには、プレイヤーの協力が 必要ということは、それで良いとしてください。

ただ、これもまたシナリオの側面ではありません。というわけで、 これも置いておくことにします。

では、どうすれば可能性が有るのか?

プレイヤーが「あのシナリオをもう一度遊びたい」と感じることがあるとすれば、 「世界の奥行き」に依存すると言えそうです。 もちろん、それを演出するためにはGMの技量やプレイヤーの技量が影響してくる わけですけどね。

トリックが一番の要因かと思っていたのですが、もしかしたらそうではないのかも しれません。

では、どうすれば「世界の奥行き」を作り出せるのでしょうか? 難しい問題ですよね。 ただ、いくつか思いつくことが有ります。 例えば「世界の奥行き」を出すのには、どうしても豊富な設定が必要になるでしょう。 とは言え、単に豊富な設定を行なえば充分なのかと言えば、ちょっと違うような 気がします。

1つの方法は、上の方で触れた「世界に関する謎」です。 そして、我田引水になりますが、もう1つの方法がRPGらしく(?)亜神話的、 もしくは神話的シナリオにすることでしょう。 この中に「謎」を含めても良いのかもしれませんが。

では、具体的にどうすれば良いって? 亜神話的なものとしては、RPGは亜神話的要素を充分に持っているわけですから、 その要素を充分に発揮することでしょう。 例えば魅力的なNPC、印象的なプロットや設定ということになるでしょう。 じゃぁ、それらをどうやって作るかと言うと.....どうしたら良いんでしょうねぇ? ^^;

ちょっと補足

ここまで書いてきて思ったんですが、 もしかして私が「RPGのシナリオは複数回遊べなければならないはずだ」と 考えていると思った人はいませんか? それは誤解が有ります。

また、もしかして私が「まったくおなじ経過を辿るセッションを複数回 行なう」ということを言ってると思ったいとはいませんか? それもまた違います。

まず最初の点について言うと、 現在のシナリオは使い捨てが主流になっているが (異なるプレイヤー・グループに対して同じシナリオを使うことは有るでしょうけど)、 それではGMの負担が大きいからです。 その状況を改善するには、同じシナリオで複数回使えるようにするか、 あるいは出版社から豊富なシナリオが提供されるかです。

出版社からの提供は、現実的には、極めて少数のRPGを除いて期待できません。 まぁ、それを克服する方法としてシナリオの汎用性 という考えもあるわけですが...これも結構、いろんなところで反対というか 不可能というか、面白味が無くなるということを言われてしまいます。 私としても、もちろん、そういう側面が有ることは理解していますが、 その側面は意外に小さいのではないかと思ってるんですけどね。 ただまぁ、それはまた別の話です

というわけで、まぁ、ここでは シナリオの複数回使用というアイディアを考えてみたわけです。

先の2つめの点について言うと、セッションごとに経過が違うのは当たり 前でしょう。同じになるわけがない。2回目以降は、話の展開はだいたい分かっている わけです。だとすれば、より良く行動しようとするのは当然です。 ただ、逆に話の展開を知っているからこそ、より面白くできる可能性が有ると 思うのです。NPCとのやりとりをもっと良くしたり、もっと劇的な経過にしたり。

シナリオは言うならば、セッションの雛型です。 それをどのように具体的な物語にするか、 そこに複数回同じシナリオで遊ぶ楽みを見いだせると思うのです。

結論

どうすれば良いんでしょうねぇ? ^^;