#. 物語の複雑さの問題

単純な物語は馬鹿にされることがあります。 ならば、物語は複雑ならば複雑なほど良いのでしょうか? 単純な物語はつまらないとしても、 逆に複雑すぎた場合、プレイヤーや小説の読み手、演劇の観客、 映画やTVドラマの視聴者の理解力や記憶力を越えてしまい、 やはりつまらないものになってしまうのです。 これは、多くの人が難解な小説や論文などを読んだときに経験していることでしょう。 そこで、ここではどの程度の複雑さが良いのかを考えてみましょう。


#.#. 物語の複雑さ

そもそも、物語が単純であるか複雑であるかは何が違うのでしょうか。

1つには物語の長さ (シーンの数の多さと言っても良いでしょう) も有るでしょう。 しかし、長い物語ならばそれは複雑な物語なのかと言われると、 違うような気がします。

物語中に現われる場所の多さというのは、シーンの数とは若干異なりますが、 単にシーンの数 (物語の長さ) だけで、物語の複雑さを判断するよりも、 まだ物語の複雑さに関係が有るように思えます。 さらに登場人物やアイテムの数も、単に物語の長さよりも 物語の複雑さに関係しているような気がします。 しかし、これらが物語中に多く現われれば現われるほど、その物語は 複雑なのかと言われると、やはりそうとも言いきれないような気がします。 ということは、これら、ある意味で目に見えるもの以外に、何かが 物語の複雑さには大きく関係していると言って良いように思います。

では、その「何か」とは何でしょうか? 私が考えているのは、シーン間や人物や場所やアイテムや情報の何らかの関係の 量だと思うのです。 しかも、例えば1シーン内でかたづいてしまうようなものではなく、 複数のシーン間に関連するような、いわば大域的に存在する関係の量です。 もっともシーン間に関連するようなとは言っても、 連続している2シーン間のものは時間的にもかなり短いですから、 どちらかと言えばそれは局所的なものと考えたほうが良いかもしれません。

ですから、いかに多くのシーンが存在しようとも、 その全てが直接連鎖するシーン間の因果関係のみで繋がっているのであれば、 その物語はさして複雑なものではないと言えるでしょう。 またいかに多くの人物や場所やアイテムや情報が現われようとも、 それが1つのシーン内で (あるいはシーンの連鎖との兼ねあいで、 直接連鎖するシーン間で) のみ現われるのであれば、 これまた、物語の複雑さとはあまり関係が無いと言えるでしょう。


#.#. 情報過多と情報過少

さて、RPGでは、物語がどのように展開していくかが分かりません。 つまり、 様々な部分で条件分岐の可能性があるということです。 そのために、できるならばシナリオ作成時に、それらの条件分岐の それぞれについて十分に考察を行っておくべきかもしれません。 あるいは、【本論の前に】の [シーンとイベント] で述べた、 場所指向のような書きかたをしていれば、あるいはそういうシナリオの作りかた (あるいは考えかた) をしていれば、この問題はそれほど 大きなものではないかもしれません。

さて、プレイヤーに提示されるのは常に1本のストーリー・ラインです (【一本道シナリオ】)。 つまり、どれほど綿密に分岐がシナリオ上に記述されていたとしても、 それはプレイヤーには関係の無いことです。 GMにとってはどうかということであれば、 GMが分岐を予想していなければ、PC達がGMの用意したストーリー・ラインから はずれたときに対処できなくなります (言うまでもなく、マスタリング・テクニック 次第ですが)。 逆に分岐を多く用意しすぎれば、なによりGMにさえストーリー・ラインもしくは シナリオの全容を把握できなくなってしまいます (もしもあなたが、人並外れた記憶力を持っているのならば、別でしょうけど)。

条件分岐に関しては、1つの対処法は、ゆるやかに元のストーリー・ラインに PCやプレイヤーを引き戻すためのマスタリング技術が有ります。 おおざっぱに言ってしまえば、「アドリブでなんとかせぇ」ということですが。 GM自身がシナリオの全容をしっかり理解しておくことが、その助けになるでしょう。 このあたりの話はシナリオ作成というよりもマスタリング・テクニックの話に なるので、これ以上はここでは触れません。

さて、条件分岐に関して言えば、物語の不確定性からくる 物語の複雑さの問題であり、また主にGMにとっての問題です。 しかし、そのような複雑さとは別に、伏線などによる情報過多もしくは情報過少による 物語の複雑さの問題も有ります。 これは、GMにも関連しますし、またプレイヤーにも重要な問題となります。

例えば、伏線や対立の数 (あまりに多重に伏線や対立が存在すると、 プレイヤーの理解能力を越えてしまいます)、 PCに与える情報の量 (多すぎるとプレイヤーの記憶能力を越えてしまいます。 メモしておいても、どこに書いたのかを忘れてしまうでしょう)、 NPCの人数 (情報と同様ですが、GMすら混乱をきたす場合が有ります)、 場所の数 (NPCの場合と同様と思っていいでしょう) などなど、情報過多ははっきり言って混乱を生むだけです。 この情報過多は、GMがシナリオ作成に労力をかければかけるだけ、 より情報過多になってしまう傾向が有るため いかにプレイヤーに理解できる範囲に抑えるかということが 重要な問題になります。 しかし、経験的に言えば、ある程度回避しやすい問題と言えます。

私の場合、情報過多の問題を、セッション時間の予想で片付けています。 重大な情報の提示などの小山の場合はプレイヤー数 * 5分、 また戦闘などの大山はプレイヤー数 * 10分という計算で、 セッション時間を計算するのです。 さらに、 だいたい、1時間位を加えれば、私の場合はほぼ予想通りの結果になります (1時間は、だいたいキャラクター・メイキングにかかる時間です)。 例えば、小山は3回くらい、そして大山が2回位と考えると、プレイヤーが 5人の場合は、(5 * 5) * 3 + (5 * 10) * 2 + 60 = 235 = 約4時間という 計算になります。 このような計算で、 セッション時間を予想し、そこから逆に情報過多の問題を 解決する訳です。

山場の数以外にもシーンやイベントの数、あるいは場所の数などなど 様々なもので時間計算はできるはずです。 みなさんが使い易いものを探してみると良いと思います。

また、【本論の前に】の [対立]では、 1つのシナリオには3種類の対立が同時に存在していると書きました。 そして、この対立の数はそのまま伏線の数や情報の量、NPCの人数その他に 影響を与えると思います (『影響を与える』というか、 むしろ複雑さそのもの、もしくはその元凶というべきでしょうね)。 ですから、むやみに、3重以上の対立をシナリオに持ち込むべきではないでしょう。

シーンにおける局在的な対立は原則としてそのシーン内において解消される ものと考えられます。 これに対して伏線というのはあるシーンで現われた対立が、そのシーン内では 解消されず、後のシーンまでその解決が持ち越されるものと考えられます。 とすれば、伏線が張られるのがシナリオの常と考えれば、 シナリオの最初と最後のシーンを除き、3重以上の対立がそれぞれのシーンに 内在していることになります。 ここで伏線とはいわば2連鎖モデルの一時的断絶の一種と考えることができます。 断絶とは、通常は連続するシーンなどにおいて因果列 (因果関係の並びということで 因果列と呼んでおきます。因果律の間違いではありません) が 繋がっているのにたいして、 ある因果列に別の因果列が割り込んでくるようなものであり、 また複数の原因から1つの結果が出てくるような場合も含まれます。

さて、ここで唐突ですが、心理学的に言われているマジックナンバーの 話をしましょう。 人間は、およそ7±2個の事柄しか (抽象化の程度はかなり自由ですが)、 一時には記憶しておけないということです (「じゃぁ、午前2時にはどうだ?」というようなボケは却下します)。 これは、一般には短期記憶と呼ばれています。 実際にはメモを取ることも可能ですから、この制限はある程度緩和されます。 とは言っても、何かを把握する場合にはその対象をできるかぎり同時に 頭の中に入れておかねばなりませんから、同時に考慮の対象となるものは、 対立も伏線もNPCも場所も情報も含めて7個程度に抑えることが望ましいと 思います。

さて、常に考慮の対象になっているわけではありませんが、 個々のシーンには3重の対立が内在し、それ以前のシーンで伏線が張られた場合には それ以上の対立が内在することになります。 これだけでおそらくは短期記憶のスロットの半数程度を 使用してしまうことになります (まぁ実際にはその全てが考慮対象になるとは限りませんが)。 あとは、そのシーンに登場する人物1人、場所1個所、そしてそこで得られる情報1つ (いずれも、そのシーンで最も重要なもののみを数えているものとします) 程度が 同時に考慮可能な限界に近いでしょう。 このようなことも、先のセッション時間の予測とともに 情報過多を避けるために考慮に入れる必要が有るでしょう。

逆に情報過小の場合は、PCに与えられたタスクをクリアするための ヒントなどが少なすぎるということです。 プレイヤーやPCがシャーロック・ホームズに比するほどの観察力を持つならば 充分にクリアできるようなシナリオというのは、 そもそもその前提から崩壊していることは分かると思います。 【劇的な状況】の [意外性]で 述べている悪い「実は...」というのは、始めからプレイヤーを 情報過小の状態に置いておくというものだと言えるでしょう。

RPGのシナリオと小説などとの違い】では、 『劇的効果はできるだけはっきりと演出する』と書きましたが、 情報の提示に関しても必要な情報は明確に、 もしくはPCが気が付きやすいように提示し、かつ タスクをクリアするのに充分なだけ提示する必要が有るということです。 推理小説には、わざと情報を隠したり混乱させることで 成り立っているものが存在します。 小説を読む側にとってはそれも良いのかもしれませんが、 実際にその問題を解かねばならない者にとっては、 そもそも解けない問題を解かされているようなものです。 で、どういう情報が必要なのかに関しては 【物語と情報 (登場人物、場所、アイテム、情報)】に 書いてあると思います。

情報過少については、これという特効的な解決策は思いついていません。 情報過多の場合にも言えることですが、 結局はシナリオの推敲によって確認するしかないと思います。 とは言え、推敲の際に、 【物語と情報 (登場人物、場所、アイテム、情報)】で 言ったような、情報の種類というものを眺めてみるのも、 情報過小の問題が発生するかどうかのチェックに役に 立つのではないかと思います。 とは言え、それほどうまく書けているとは思えませんが...

ただ、私の知り合いの間で言っている格言に、 『プレイヤーは馬鹿だと思え』というものが有ります。 GMは、シナリオの全てを知った上でシナリオの推敲を行ないます。 しかし、プレイヤーにとってはシナリオはまさしく謎です。 つまりGMがシナリオの推敲を行なう場合には、 プレイヤーは知らないかもしれない情報までを含めて考えてしまいがちなのです。 そこで、『プレイヤーは馬鹿だと思って』、情報が少なすぎることもなく、 情報が多すぎることもないように調整するわけです。


私家版 Advanced!!】 【物語の作りかたを考える
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