#. 本論の前に

#.#. イベント指向と物語指向

まず最初に書いておきたいのは、 現在のシナリオには大きく2つの流れが有るということです。 1つは、イベント指向のものであり、 もう1つは物語指向のものです。 まぁ、この名称が良いかどうかは分かりませんがね... で、この2つを極端に言うと (あくまで『極端に言うと』ですよ)、 イベント指向というのはダンジョン探索で、 物語指向というのは朗読セッション (つまりGMによる、シナリオの朗読を聞くだけのセッション) ということになります。


#.#.#. イベント指向

場所指向 (イベント指向) のシナリオとは、 シナリオの舞台の中のどこではどういうイベントが発生するかを 決めておくという形のシナリオです。 この形式では、イベント間の因果関係はあまり密接なものではなく、 イベントの生起順序もまた特に強く定められているわけでは ありません。 また、このタイプのシナリオを作るGMも発生順序はあまり気にしないでしょう (イベント間の発生順序や因果関係がまったく存在しないという意味では 有りません。念のため)。

そのため、いわばいくつかのイベントをクリアし、シナリオをクリアする という考え方になります。 ですから、クライマックスで必要な条件を満たすためのイベントを その条件ごとに個別に考えていくことができます。 つまり一種の「勝利」を目指す形態と言えるでしょう。 いわば、伝統的なゲームの楽しみかたの延長に有る遊び方でしょう。

そのような特徴から、どちらかと言えば、 【シナリオ作成の手順、手法】で述べる 右再帰の深さ優先もしくは幅優先(その場合もおそらくは結末から始めに向かう 方向)でシナリオを作って行く人が多いのではないでしょうか。

人間が一度に把握できる対象には制限が有りますのが、 場所指向(イベント指向)のシナリオもしくはそういう作りかたは、 GMに無茶な負担をかけないですむという利点がある反面、 逆に、イベントの生起順序が明確ではないために、 気の効いたセリフなどのNPCのために用意しておくことが 難しい可能性が有ります。 まぁ、これはGMのマスタリング・テクニックの問題も大きいですが。


#.#.#. 物語指向

それに対し、物語指向のシナリオとは 極端に言ってしまえば『朗読セッション』でのシナリオであると言いました。 つまり、作ってきたシナリオというか物語をGMが読み挙げるだけの セッションを思い浮かべてもらえば良いでしょう。 まぁ、この例は極端な場合ですが、物語指向とは、例えば小説や映画のように ストーリーを追うようなもので、そのために イベント間もしくはシーン間の依存関係 (因果関係) がかなり密接なものになります。

物語指向においては、シナリオの物語性が強くなるという強みは有りますが 、 反面、作者のイメージする物語展開にシナリオがベッタリとくっついてしまい、 セッションでの進行がその線にそっているあいだは緻密なストーリー展開が できるものの、PCが作者の予想していない行動に走った場合に シナリオが崩壊 (もしくはセッションが白けて) してしまう危険性が有ります。 どういうことかと言うと、大雑把に言ってしまえば、シナリオに沿っているあいだは、 NPCのセリフやその他のトリックが質の高いものであるのに (なぜならその線にそって良く考えてあるわけですから、 実際にNPCのために非常に気の効いたセリフが用意されていることが考えられます)、 シナリオから外れたとたんにNPCに魅力がなくなったり トリックがちゃちになったりという現象が発生することが考えられるわけです。 あるは、本来想定していた筋から離れたところで発生したイベントの内容が、 後のイベントに関連するものもしくは後のイベントと置き換わってしまうような ものになってしまい、シナリオの後々まで影響を残し、 GMの記憶にある筋と矛盾を来たし、問題が発生することも考えられます。 もちろん、これはシナリオの問題だけではなく、 GMの技量の問題も大きいですが。

いずれにせよ物語指向が強いということは、 「勝利」よりも「参加」と「観賞」を目指す形態と考えれば良いと思います (この「観賞」については 【RPGの楽しさについて (あんな面、こんな面) 】の [観賞型の娯楽の楽しさ ] で多少触れています) 。 こちらは伝統的なゲームというよりも、むしろ物語をし、また聞くことや、 あるいは物語の創出に関与するという意味で 演劇の延長に有る楽しみ方と言えると思います。

で、このようなシナリオを作るGMの場合、おそらくは話の筋に沿って、 シナリオ上必要な前提条件を考えるという方法を取っている人が多いのでは ないでしょうか。後に【シナリオ作成の手順、 手法】で述べる例で言えば、左再帰の深さ優先もしくは 幅優先の展開をするということになると思いますが。


#.#.#. で、どうした?

このようにイベント指向の楽しみ方も、また物語指向の楽しみ方も できるというのがRPGの特徴と言えるでしょう。

言ってしまえば、これまでのゲームの多くは好意的に解釈しても イベント指向だったわけです。 例えば将棋やチェス、囲碁、あるいはモノポリーなどでも、 1回のゲームの中に何回かいわゆる山場的な部分が有ります。 その山場的な部分をイベントととらえることが可能だとするならば、 それらのゲームはイベント指向と言えなくもないわけです (一手ごとを1つのイベントとしてみることも可能でしょうけど)。 あと、従来のゲームは基本的に「勝利」することを目的にしていることは 言うまでもありません。

それに対し、これまで聞き手も参加できる物語指向の ゲームというのは例が有りませんでした。 いや、敢えて挙げるならば、連歌なんかが近いかもしれません。 歌のできてくる過程を楽しむとともに、 歌ってのは一種の物語でもあるわけで (俳句まで短くなると、なかなかそうは 言い難いものが有りますが)、 その創出の過程に皆が参加するって意味で、なんかRPGに近いと 言えなくもないですね。

ところで、イベント指向と物語指向は対立する概念では有りません。 というのも、物語指向のシナリオにおける 基本単位はシーンですが、これはイベント指向におけるイベントと 大雑把に言って同じような単位と考えられますし、 また逆にイベント指向のシナリオにおいてもイベント間での 依存関係 (因果関係) がまったく無いということは まず有り得ないからです。 ですから、イベント指向も物語指向も、RPGのシナリオの形式の1つの軸上に 存在する2つの概念であり、決っしてどちらかのみが成立するというような関係に あるわけではないのです。

物語性については、 【シナリオにおける物語性とは?】で、 多少考察をしています。 また【RPGの楽しさについて (あんな面、こんな面) 】では、RPGに含まれる楽しさについて多少 考察をしています。 いずれもまだアイディアメモみたいなものですけど、そのうちにしっかり したものに書き変えたいと思います。


#.#. RPGにおける物語のとらえかた

さて上[イベント指向と物語指向]では、 「朗読セッション」ということを言いました。 「物語指向」というのは、ここのところRPGのシナリオに非常に強く 現われている傾向だとは思うのですが、 「物語指向」のシナリオと、「朗読セッション」におけるシナリオは 実はまったく別のものであるということについて少し書いておきたいと思います。 RPGのシナリオにおける物語性については 【シナリオにおける物語性とは?】にも 多少書いてあります。

さて、【RPGのシナリオと小説などとの違い】で、 『小説などとRPGのシナリオの根本的な違いに「物語の不確定性」が有る』という ことを言いました。 本来、「朗読セッションのシナリオ」においては、「物語の不確定性」は 存在しません。 なぜなら、GMがそれを許さないからです。 しかし、私は「物語の不確定性」を明言しています。 これは、矛盾と感じる人もいるかもしれません。 じつは、これはシナリオ作成の、あるいはRPGを遊ぶさいの基本的姿勢にまで 関係する問題なのです。

で、その問題とは、RPGにおいて物語はいつ作られるのかについての認識の 違いです。 これは、RPGにおける物語のとらえかたの問題であり、また 物語作成に対するプレイヤーの関与の度合の強さの違いの問題でもあります。 これには、だいた3種類の考えかたが有ります。

1つは、いわゆる朗読セッションであり、 物語はGMが作ってくるものであるという考えかた。

2つめは、物語の本質は (えーと、何が本質なのかは聞かないでください。 私にも分かりません) GMが作ってきたシナリオ (に含まれているもの) であり、 セッションはそれに肉付けを行なうものであるという考えかたです。 先に【RPGのシナリオと小説などとの違い】で 述べた物語の不確定性などとの関連から、実際にはGMは物語の骨格を用意しておき、 セッションではそれを具体的な物語に肉付けを行なうということになると思います。

3つめは、物語とはセッションにおいて作られるものであり、 GMの作ってきたシナリオ (に含まれているもの) は物語の単なる種でしかない という考えかたです。

これは、イベント指向と物語指向のいずれがRPGの正しい遊びかたということが ないのと同様、3つのいずれがRPGにおける物語の正しいとらえかただということは ありません。 (このような、「正しい遊びかた」の定義が無いのが、RPGの良い点でもあり、 また同時に弱い点でもあるのですが)。

とは言え、1つめの考えかたでは、PCの行動がGMの予定から外れることが 許されなくなります。 あるいは、予定からはずれたとたんにGMが慌てたりシナリオが崩壊していたりという ことになっちゃうんですが。 まぁ、そもそも最初からプレイヤーは自主的には動かないというセッション だからこそ朗読セッションと呼んでいるわけで、その場合はこういう問題は 有り得ないわけですが (プレイヤーは、セッション中ずーっと何かわめいてはいるんですが、具体的な行動は ほとんど何も自主的には行なわないというのも有ります。 この場合おそらくそのプレイヤー本人にしてみれば、自主的かつ能動的に 行動していると思っているんでしょうけど...)。 何となくですが、最近こういうセッションが多いような気がするんですが... 何にせよ、この考えかたではシナリオを創るというよりも 小説を書くということに近いと思われます。 そうなると、ちょっと私には手に負えません。

3つめの考えかたについてですが、 過去、シティー・アドベンチャーが普及し、物語指向が強くなってきて しばらく経過したころは、この考えかたが多かったような気がします。 つまり、ダンジョンという実質的に物理的な制約がはずされた結果、PCの行動範囲が 広がり、あるいは広がったように思われ、 それによって「PCの行動に制限は無い」かのような誤解が現われ、 そのためにシナリオとしてセッションの経過の予想を立てる、もしくはPCの行動を 制限することは不可能というような誤解がまかりとおっていたのではないかと 思います (このあたりのことについては 【シナリオはダンジョン?】で少し述べています)。 ともかく、この考えかたでは、セッションにおいてどこに山場を 持ってくるのかなどの、いわば演出が、GMのアドリブに頼るしかなくなります。 また、シナリオというよりも 参考文献 [テーブルトーク RPG 100 のシナリオ] に 書かれているようなネタ程度ということになってしまうであろうと考えられます。 この場合、物語の創りかたを考える必要はほとんど無くなってしまいます。

物語作成に対するプレイヤーの関与の度合の強さの違いということに関しては、 1つめはプレイヤーの関与が弱く、3つめは関与が強いわけです。

まぁ、そんなわけで、この文章では2つめの考えかたに立っているわけです。 もちろん、私個人の、RPGにおける物語のとらえかたが、ここで言った2つめの 考えかたであるからこそ、そうなるわけですが。

ここに書いてあることに多少関係する事柄が、 【シナリオにおける物語性とは?】とか 【RPGの構造】にも書いてあります。


#.#. 2連鎖モデル(因果イベント列)

次に、物語の最小単位を考えてみます。

ここでは、物語の最小単位を、「何があって、それでどうした」という 2つのイベントの連鎖とします。 これを2連鎖モデルと呼びましょう。

なぜ2連鎖モデルが最小単位なのでしょうか? 例えば、あなたが何か面白い経験をしたとしましょう。 そしてそれを友人に話したとします。

「これこれのことが有ったよ」

そうしたとき、友人はどう反応するでしょうか? だいたいはこんな感じだと思います。

「へー、それでどうしたの?」

あるいは

「へー、なぜ?」

そうです。つまりだいたいにおいて何かが起こったら、それに対する 結果というかその影響も知りたがると思うのです。 あるいは逆に何かが起こったら、その原因を知りたがると思うのです。 もちろん、影響とは言っても個人的な感想から、社会的な変化までさまざまな ものが有りえることは言うまでも有りません。

それはともかく、このことを逆に言えば、 人間は複数のイベントの連鎖において一種の因果関係が成り立って (あるいは想定できて)、初めてそれを物語であると認識するのだと思います (あるいは、イベントの連鎖が有ると人間はそれを因果関係のある物語と とらえてしまうということかもしれません)。

そこで、ここではこのようなイベントの2連鎖モデルを物語の最小単位であると 考えます。もちろん、その2つのイベントには何らかの因果関係が存在する、 もしくは因果関係を連想できるもの、あるいは少なくともGMの責任で因果関係を 付けられるものでなければならないでしょう。

さて、2連鎖モデルを物語の最小単位としましたが、 これは逆に言えば、どれほど大きな物語であろうとも、 つきつめれば2連鎖モデルで記述できるということになります。 これは後に[シーンとイベント]の節でちょっと述べている イベントの抽象性の自由度に関連しています。 つまりその物語の粗筋の粗筋の....粗筋の粗筋を考えていけば、 2連鎖モデルに辿りつけるということです。 そのさらに粗筋を考えると1イベントに行きつくとは思いますが、 人間はそれを物語ととらえるわけではないと仮定していますので、 物語としては2連鎖モデルで止まるわけです。 しかも、その2連鎖モデルの初めのほうのイベントはいわば原因に対応するもので、 残りのほうは結果に対応するものであることは言うまでもありません (タイム・トラベルなどのやっかいな問題はこのさいどこかに置いておきます^^; あるいはPCの主観時間の上での問題と考えれば良いでしょう)。

これに関連することが【シナリオ作成の手順、手法】 に書いてありますが、ここでは、物語とはイベントの2連鎖から始まり、 またどのような物語であってもつきつめればイベントの2連鎖に 要約あるいは抽象化できるということを分かってください。

ただ、2連鎖ではなく3連鎖 (何が起こって、それでどうして、どうなった)の ほうが考え易いという人や場合もあるかと思います。 そのような場合、無理に2連鎖で考えることはなく、3連鎖で考えても良いでしょう。


#.#. 対立

おおまかに物語の構造を考えた場合、 そこには必ず「対立」が有ります。「葛藤」と言っても良いでしょう。 例えば正義と悪の対立であったりするわけですが。 で、ストーリーの進行によって、その対立や葛藤が高まり、 そして解消されたりあるいは 解消されないまでも(一時的ではあっても)緩和がなされるわけです。 この状況の変化というものを物語ととらえることもできるでしょう。 2連鎖モデルの場合であれば、「対立が発生し、そして解決された」という 2連鎖になっているわけです。

で、この「対立」ですが、RPGの場合 (に限ったことではないと思うけど)、 複数の対立が1つのシナリオに含まれることになります。

1つは、そのRPGの世界が持っている対立です。 これは例えばD&Dであれば善対悪の対立となります。 Vampire: the Masquerade の場合であれば、おそらくは生対死であったり、 人間対Vampire、あるいはVampire対それ以外の者であったり、 さらには死す者 (人間) の心を持った不死者 (Vampire) という矛盾が生む 対立 (葛藤) も存在するでしょう。

おそらくは、このような対立が明確であるほど、分かりやすい 世界と言えるのではないでしょうか。 逆にこのような対立を明確な形で持っていなければ、あるいはそもそも プレイヤーに読み取れなければ、そのRPG自体の印象もぼやけたものに なってしまいそうです。 似たようなことは、おそらくルールについても言えそうな気がします。 世界設定に関して言えば、このような世界が持っている対立が 明確でることが、そのRPGが名作であるかどうかの1つの条件である ような気がします。 もっとも、Travellerの場合はどうもあまり世界が持っている対立が 明確になっていないように思われますが、 中にはそういう例も有るということでしょう。

ついでに言えば、RPGの世界が持っている対立というのは、 おそらくPCの葛藤とかシナリオにもかなり影響を与えるのではないかと思います。 その例が上に挙げたVampireの場合ですが、このように、 場合によってはPCの個人的葛藤もRPGの世界が持っている対立と考えられる ということです。

で、もう1つは、シナリオの基盤をなす対立が有って、これは シナリオのテーマやモチーフに関連すると思います。 つまりは、シナリオで問題となっている事件などによる対立です。 単純に言ってしまえば、かたやPCおよびPCに事件の解決を依頼する者がいて、 もう片方に悪人がいるという形式です。 実際には、対立はPC対悪人でなくたって良いわけです。 ある概念とそれに対する概念という対立の中で、 PCがどう行動するかというもの立派なシナリオになるでしょう。

さらにはそれぞれのシーンなどにおける局所的な対立が有ると思います。 この場合、その対立は例えば戦闘などというかたちで非常に分かりやすくなります。 あるいは、PCに何か依頼が持ち込まれた場合などであっても、 PC対依頼者という対立が有ります。 まぁこの場合、対立という言葉は多少強すぎるかもしれませんが、 これも含めて対立と言ってしまえば話が簡単になるものですから。 おそらく、対立の無いシーンというのはシナリオの結末にあたる シーンくらいでしょう。 もっとも、これも考え方しだいでして、これまでのシーン対結末という 見方をしても良いでしょう。

ここで述べた「対立」というのはシナリオの一種のパターンもしくは 物語の核や種とも考えられます。 【ストーリーの種】のほうを参照してもらうと 良いかもしれません。 あるいはいかに劇的な状況を作り出すか (【劇的な状況】)、 またいかに緊張を作り出すかという点にも関連しています。

こう考えてくると対立そのものも、どのような種類が有るのか 分類して考えてみるべきかもしれませんね。


#.#. シーンとイベント

イベント指向と物語指向]で述べたことですが、 シナリオの形式について大雑把に言うと、 現在2つの流れが有ます。 1つは場所指向 (もしくはイベント指向) のシナリオで、 もう1つは物語指向のシナリオです。

シナリオの記述を考えた場合、場所指向 (イベント指向) の場合はイベント、 物語指向の場合はシーンがその基本単位になっていると思います。 そして、それらをシナリオの記述の基本単位として見た場合、 場所指向 (イベント指向) におけるイベントと、 物語指向におけるシーンとはほぼ同様のものであると考えられます。

そこで、この節ではイベントとシーンについて考えてみます。

まずイベントですが、これは早い話「何かが起こる」ということです。 ただし、その抽象化の程度が広く考えられるため、 1つのイベントとは言っても非常に狭いものから広いものまで考えられます。 例えば、あなたが新聞で「殺人事件発生」というニュースを読んだとしましょう。 この時、あなたは「殺人事件」というものを1つのイベントととらえている はずです。 しかし、その後の詳細のニュースを読んだときには、 そこには殺人事件の原因/動機や、手口などなどいろいろな 情報が入っているでしょう。 すると、そこでは「原因」となる事件とか、「手口」などをまた 1つのイベントとしてとらえるはずです。 このように、イベントという言葉は「何かが起こる」ということを 言っていますが、その内部構造などについてはまったく言及していないため、 非常に広い範囲から狭い範囲まで様々な段階をそれぞれイベントとして とらえられるのです。

イベントではともかく発生する出来事に注目しています。 それに対してシーンではもちろんどんな出来事が発生するのかも 重要ですが、それ以外にもいろいろと考慮に入ってきています。

ある登場人物が、一定の行動を、一定の場所で行なう、時間的な範囲

シーンを定義するとすれば、おそらくこういう感じになると思います。 ここで「一定」というは「事前に決められているもの」ではなく、 「同じ行動を (あるいは同じ場所で) 続けている」という意味での 「一定」です。

ただし、この「一定」のとらえかたはかなりゆるやかです。 例えば行動の場合について、交渉を例に挙げてみましょう。 交渉には頼んだり、脅したりという行動が互い違いに出てくるでしょう。 しかし、あくまでその目的は交渉であるわけです。 ですから、その意味で「一定の行動」となりますが、 その「一定の行動」の単位は「一定の場所」によって規定されてくるとも 言えるでしょう。

逆に「一定の場所」についても、例えば登場人物が走っているような場合、 その人物は特定の場所 (例えば特定の緯度・経度で指定される場所) に いつづけているわけではなく、 むしろ走り続けているという「一定の行動」によって、 その人物が走っている通路などが「一定の場所」の単位となりえるわけです。 えーと、これ以上うまく説明できないのですが、だいたい分かってもらえた でしょうか?

イベントは、もちろん「誰かが (もしくは何かが)、何らかの出来事を 起こす」という視点であるため、シーンの定義に含まれる 「時間的な範囲」とは言えません。 それゆえに、より詳細なイベント列を抽象化することにより、 それらをより抽象度の高い1つのイベントとして考えることが 可能になっているわけです。 とは言うものの、現実的には1つのイベントには時間的な始点と終点が 有りますし、だいたい1つのイベントは同一の場所で始まって終るわけです (もちろん、イベントの抽象化の程度にもよりますけど)。 また、イベントとシーンの両者とも同様にシナリオ記述の基本単位であると 考えられるということは上に書いたとおりですし、 また両者に重なる部分が大きいことも分かると思います。 ただイベントと言ったほうが、より広い範囲を含められるとは思いますが。

一般には、イベントとシーンはほぼ同義であると考えられるものの、 イベントは時間的にはかなり幅を持ったものをまとめてイベントと呼べて しまうため、シナリオの記述単位として考えた場合、あまり適切な 言葉では有りません。 特に物語指向のシナリオの場合は、と言うべきでしょうか。

そこで、以下ではシナリオの記述単位としてはシーンという言葉を 使っていきたいと思います。 またそれに対応して、より短い時間単位やより長い時間単位についても 次の節で考えてみたいと思います。 なお、以後この文章でイベントと言った場合、その抽象化の程度は 問題とせず、とにかく何かが起こるということを言うものとします。


#.#. シナリオに見られる時間的構造

さて、物語の基本単位や、物語に含まれる対立という、 ちょいと抽象的な話をしてきましたが、 多少具体的にシナリオにおける時間的構造 (あるいは時間単位) について見てみます。

これについては、映画 (もしくはテレビ・ドラマ) の言葉を使うのが良いでしょう。 映画 (もしくはテレビ・ドラマ) は時間的単位を現わす言葉を、他のメディアに比べて 豊富に持っているからです。

アクション
登場人物の1つの行動 / 行為。 おそらくは、行動の最小単位に近く「何かを言う」とか、 「表情を変える」、「立ち位置を変える」、「継続的な行為を始める」、 「継続的な行為を行なう」,「継続的な行為を終える」、 「その他、継続的でない行為を行なう」などがアクションとして 考えられられます。

RPGのシナリオやセッションにおいて考えた場合、 プレイヤーから宣言される行動のそれぞれが1アクションになると 思います。

おそらくは、マスタリングの基本単位と考えるのが良いでしょう。

カット/ショット
映画においては、1つの視点から撮られている映像。 基本的にいくつかのアクションからなる。 ただし、1つのアクションもしくはその一部がカットとなる場合も有る。 おそらくは、あるアクションとそれに呼応するアクションの集合となる と思います。 例えば、「会話」、「あるアクションの開始から終了まで」など でしょう。

RPGのシナリオやセッションにおいて考えた場合、 1ラウンドという、PC全員が行動を行なうという 単位がこれに当たると思います。 もしくはそれらのいくつかの集合という程度でしょうか。

おそらくは、セッションの基本単位と考えるのが良いでしょう。

シーン
映画や演劇では、1つの場所で継続して行なわれるもの。 基本的にはいくつかのカットからなる。 参考文献 [シナリオハンドブック] によると、 映画の場合1つのシナリオに100から150程度のシーンが有るそうです。 演劇の場合だと1つの舞台におそらくは数個から10数個程度のシーンが 含まれると思います。

RPGのシナリオやセッションにおいて考えた場合も 同様に、1つの場所で継続して行なわれる行為や行為のやりとりが シーンに当たると思います。 あるいは [プロップのファンクション]だと 1つの機能が 1つのシーンに当たる可能性が高いと思います。

おそらくは、物語のの基本単位と考えるのが良いでしょう (最小単位ではありません。念のため)。

シーケンス
映画における用語。 基本的にいくつかのシーンからなる。 厳密な定義は無いようですが、おそらくは特定の目的 (局所的目的) を 追うようなシーンの連鎖と言うのが良いのではないかと思います。 言ってしまえば大きな場面転換ごとにシーケンスが区切られるということに なると思います。 また後に触れますが、シーンの連鎖 (もしくはイベントの連鎖) は 必ずしも連続しているものでは有りません。 つまりシーンやイベントの連鎖が一端切れるようなところで、 シーケンスも切れているということになるのではないかと思います。

参考文献 [シナリオハンドブック] によると、 映画の場合1つのシナリオに20前後のシーケンスが有るそうです。 ですから、映画の場合数個程度のシーンから1つのシーケンスが 成り立っているわけです。

RPGのシナリオやセッションにおいて考えた場合、 特に【物語のパターン】の [一番単純なパターン]で 述べている、 物語の「起承転結」や、 「序 一段、 破 前段、中段、後段、急 一段 」とか 「 発端、 葛藤 、 危機、 クライマックス、 結末」、 あるいは[小林のプロット2^^;]の 1つ1つの要素 (起とか、急 一段 とか 危機とか、闘いとか) が1つのシーケンスに当たるということに なると思います。

また、私見ですが、1つのシーケンス内にも一種の「起承転結」などが 含まれるほうが良いのではないかと思います。

特に何かの基本単位というわけではないと思います。 あるいは、シーンと並列の関係で、同様に物語の基本単位と とらえるのが良いのかもしれません。

ストーリー
1本の映画、1つの演劇舞台、1冊の小説、そして1回のRPGのシナリオです。

クロニクル
1つのシリーズ物と思えば良いでしょう。 小説や映画などの「〜シリーズ」とか、 RPGであれば1つのキャンペーンが当たるでしょう。

もちろん、これらは厳密に区分けできるわけではありませんし、 互いに重なり合う部分が有ります。

で、上にも書きましたが、イベントというのは、アクションを指すこともできるし、 カットを指すことも、そしてシーンを指すことも、 さらにはシーケンスやストーリーを指すこともできるわけです (さすがにクロニクルは難しいかもしれません)。 「イベント」という言葉は便利な言葉ですが、 その範囲の広さから若干曖昧性が有ります。 そのような訳で、上の方ではシーンとイベントを明確に(?)別のものとしてとらえ、 シナリオ記述の基本単位はイベントではなくシーンであると考えることに したわけです。


私家版 Advanced!!】 【物語の作りかたを考える
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